鐘の音で時を知らせるという習慣は、仏教寺院の「梵鐘」がもととなり、明け六つ(午前6時)、昼九つ(正午)、暮れ六つ(午後6時)に撞かれることが一般的でした。
時が下り江戸時代になると、「時の鐘」と呼ばれる大きな鐘を鐘楼に吊るし、市井の人々に時を知らせる役割が生まれました。これが日常生活を区切る中心的な手段となりました。
江戸時代は、一日を12刻に分け、そこに12支をあてはめ時刻を表現しました。卯の刻(午前6時)、午の刻(正午)、酉の刻(午後6時)、子の刻(午前零時)などと呼ばれ、昼夜を問わず2時間ごとに一日12回、鐘を撞いて時を知らせました。この鐘の音によって、人々は、防犯のための木戸の開閉、農作業の開始、城下の各種行事への参加、銭湯の開店閉店など、日常生活すべてを判断しました。
時刻のとり方も、現在のように24時間が等間隔ではなく、昼夜の長さの変化に合わせて刻される不定時法が採用されていまました。日の出とともに起き、日が暮れれば一日を終えた江戸時代の人々の生活のリズムに合った時刻法といえるでしょう。